本日は,『ラブリーボーン』を観に行ってまいりました。

殺されてしまった女の子視点で語られる物語。
こっち,と,天国の狭間。
自分が死んだあとの家族や周りを見ている。
そして,自分自身を見ている。
何が起こったのか,どうなっていくのか,どうすればいいのか。
ひとつの事件を,ドキュメンタリーのようなモノでは描くことのできないところから,ちょっと違った目線で語る物語で,なかなか良かったです。
とにかく,なんだか,とても泣きたくなった。
悲しい,切ない,苦しい。
いろんな想いで,涙が溢れた。

女の子に起こったこと,犯人の姿,それも見ていてツライ。
そして,女の子の気持ち,お父さんの気持ち,お母さん,おばあちゃん,妹,弟,好きな人,みんなの気持ち。
怖いとか,わからないとか,苛立ちとか,不安,寂しさ,そういう重い気持ち。
それだけでなく,死んでしまった14歳の女の子の,自分の時間が止まってしまった女の子の,後悔の気持ち。

それぞれ,いろんな想いでいて。
いろんなカタチで戦っていて。
痛いほどそれを感じて,それぞれのコトを想って,涙が溢れました。
もはや誰を想えばいいのかわからない。
この子も,あの人も,あの子も,みんなツライ・・・と。

これは,結果,遺族の気持ちを鎮めるような物語なのだろか。少しでも。
亡くなってしまった女の子がどんな風に家族を見て,自分を見ているのか。
どんな気持ちで先へ進むのか。
こんな風かもしれない,というコトを見せて。

家族は,どう考えても,犯人への気持ちを変えられないはずで。
(こうやってただ物語を見ていた自分でも押さえられないと思った。)
でもどうにかしたいわけで。
それには,こういうカタチのものがちょっと救われるのではないか,と思いました。
ちょっとだけでも。

事件を生々しく浮き彫りにしようとする一方で,女の子のいる場所がCG満載でファンタジーに描かれていて。
ちょっと前者がキツ過ぎなようにも思いましたが,後者を混ぜることによって,柔らかさや救いが見えていてよかったです。

亡くなってしまった女の子の物語だけ取ってもおもしろい,と思う。
ラブリーボーン・・・。

ああ,でもあの「沈んでいく」のだけはやり切れないなあ,やっぱり。
「落ちていく」のもなあ・・・。
それも,涙の理由のひとつでした。